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堺空襲犠牲者殉難地追悼式

7月10日が巡ってきました

66404874_2227234364055603_4069672394191536128_n1945年のその日、堺は大空襲を受けた。
毎年、堺駅の南側の内川の橋上で「犠牲者殉難地追悼式」が執り行われています。私も平和を守る決意で献灯をさせていただきました。
 生き残った人の体験談。今は高齢になったが、子どもの頃の死線を逃げ惑った記憶のお話。親を失い、家もなくし、その後の辛い生涯のご苦労は、いかばかりか。もう二度と戦争は嫌だ、心底から揺るがぬ思いが伝わる。

【昭和20(1945)年3月13日深夜の第1次空襲から8月10日の第5次空襲にかけて堺は消失し数多の命を失う被害を被った。66445798_2227234617388911_1871704171585994752_n
 特に被害の大きかった第4次空襲は堺空襲と言われる。 
 第3次空襲からわずか半月後の7月10日午前1時30分ごろ、突如としてB29数機が大阪湾上から堺市南西に侵入、東北方面にかけて斜めに通過しながら焼夷弾の雨を降らし、たちまち大浜、竜神、宿院一帯が猛火に包まれた。これを第1波として約1時間半にわたり、約100機が数機ずつに分かれ、主として油脂および黄燐性の焼夷弾による波状攻撃を加えたことにより、旧市内は完全に火の海と化し、土居川の水さえ熱湯となり、川面に飛び込んだ人々の死体で埋まり、龍神駅付近においても逃げ場を失った数百人の市民が一団となって焼死を遂げた。この空襲で1,860人が死亡し、18,000余の家が焼失、罹災者は7万人にも及ぶ大きな被害を受けた。(総務省ホームページより)】